2-2. なにごとも日本に限定せず、世界を視野に入れるには
突然ですが質問です。
学生時代は順風満帆でしたか?
ついていけない科目があったり、クラスになじめなかったりなど、なんらかの悩みはありませんでしたか?
少なくともこれまでの日本の教育制度は大学受験合格が目標になっていたところがあり、その方向性に適応できる子どもが優遇される世界でした。
でも子どもの適正、才能や興味が勉学にあるとは限りませんよね。
日本の教育の価値観が悪いわけではありません。
ただその価値観に合わないのに無理やり合わせようとする必要は、これから日本の教育がグローバル化するにつれて徐々になくなってきます。
大切なのは、日本の教育の価値観に固執しないということです。
日本の教育制度の外にも目を向けると、選択肢をグッと広げるヒントがあります。
ついていけないのなら学年を落とす
子どもが勉強についていけないのは、もしかしたら日本で言う早生まれだったり、まだ勉強の大切さに気付いていなかったりするからかもしれません。
海外の学校では、勉強についていけない子どもが1学年下に行くのはよくある話です。
これは、社会の都合に子どもを合わせるのではなく、子ども一人一人の発達ペースを尊重する方が本人のためだ、という考えから行われています。
授業のペースに合わせようとするあまり、勉強ばかりに時間を取られてクラスメイトと交流する時間を奪われては面白くありません。
実際に、私が通っていたインターナショナルスクールでは、1歳から2歳上のクラスメイトは常に3人から4人はいました。
子供を海外の学校に留学させるにも、言語の面でついていけなかったらどうしよう・・・。
海外の学校は学習ペースに関して柔軟なところが多いので、このような悩みが原因で留学を断念する必要はありません。
アメリカのような移民の多い国では、1つのクラスに日本よりはるかに多様な背景の子どもが集まるので、柔軟性がなければやっていけません。
勉強だけが評価対象ではない
入試に合格するのが目標の教育制度は、高い知識、集中力にタフさを育むことに秀でています。しかしその分、勉強以外のことの優先順位がどうしても下がってしまい、結果として多様な才能や技能を持つ若者の輩出には長けていません。
欧米式の教育は逆で、極端に難易度が高い大学入試がない代わりに、学生生活の中でいかに多様な経験をしたかが問われます。以下の例のような経験が多ければ多いほど、学校や大学は学生を高く評価します。
- 長距離走とレスリングで地域一位になるなど、複数のスポーツで活躍した
- オーケストラでトランペットの首席奏者だった
- 3か国でボランティア活動をした
- 学校の生徒会長になり、校則をより良いものに変えた
- コンピュータープログラミングの大会で入賞した
- 他校との交流イベントをいくつも企画、実施した
欧米の大学は特に、勉強ができる学生を集めて知能指数が高い単一的なコミュニティーを作るより、なるべく多様なバックグラウンドを持つ学生を集めた方が学生にとっても大学にとってもより良い結果につながると考えています。
前者は単一的な国の縮図、後者は多様な人々が交流する世界の縮図と言えます。世界を舞台に活躍するための学びが多いのは、言うまでもなく後者です。学生の留学を推奨している学校や大学も多いので、チャンスは有効活用すべきです。
自由研究の課題をあえて大きく、世界規模に
欧米式の教育では、自由研究形式の課題が多く出されます。しかも、課題は書き上げれば終わりというわけではなく、研究内容をプレゼンするまでが課題であることも多々あります。グローバル教育を意識している学校で出される課題のテーマは世界規模のデータを調査して、そこから見出せる見解を述べよ、という主旨のものが多いです。以下が例になります。
- 自国と他2ヶ国の人口の推移と、違いの理由を調査せよ
- 戦時中に自国の作家が書いた本と他国の作家が書いた本を読み、共通点と相違点を調べよ
- 温暖化がもたらす数ある環境への影響の中から1種類選び、大陸別に影響の度合いを調査せよ
- 社会における女性の権利が現在どのような状態にあるか調査せよ
このような課題に繰り返し取り組むことで、自然と、自分が今住む世界と地球全体との接点について考えるきっかけが与えられ、異文化理解や地球的視野が育まれます。また、自分で調べた他国のことを、調べたことがない聞き手にいかにわかりやすく伝えられるか考えることで、自分の発言がどうしたら内輪なものに留まらないか探っていくことができます。
研究のテーマはどれも明確な答えがないものばかりなので、答えを見つけることより、上手く伝えて相手を納得させることの方が重要だと気づきます。これがまさに地球社会で必要なスキルになります。
夏休みの宿題などテーマがある程度自由の利く課題は、上記のようなものに挑戦するよう子供に勧めてみるといいでしょう。また、学校の宿題で出題されるのを待つまでもなく、子供と一緒に図書館やインターネットで調べてみる習慣をつけてみるのもいいでしょう。
世界での価値が高い人
日本の教育から学べることは多いにしても、広い世界で学べることのほんの一部に過ぎません。日本で言う「優等生」になろうがなるまいが、世界からすればそれは「どうでもいい」ことです。
世界が興味を持つのは世界で言う価値の高い人: つまり多様な経験を経て、異文化を理解しようとし、地球的視野を持とうとし、広くコミュニケーションを取ろうとする人物です。これらの素養を持った人物なら、知識は自ずとついてきますよね。
スーパーグローバル大学、スーパーグローバルハイスクールなどの動きから、日本の教育も上記のような人物をより多く輩出できるように変革しようとしていることがわかります。一人一人の学生、一つ一つの家族も教育の目標を日本の頂点ではなく世界の頂点を見据えたものにすれば、学生時代もその後も、より豊かな人生が過ごせるのではないでしょうか。